こんにちは。オタクFP見習カイです。
アラフィフ女子たちに必要なのは「美容と健康と老後の資金」です。
ここでは主に「老後の資金」のことを話しています。
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そもそも私は
貯蓄な女
でした。
働き始めてからこっち、働いている限り貯蓄してます。
無職の時だけ中断してます。
なのになぜ今、アラフィフになって投資投資と考え方をシフトしていったのか?
それを説明してみます。
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貯蓄の女、それは私
最初に貯蓄を始めたのは18歳。
高卒で働き始めたので18歳です。
高校生の小遣いでは考えられないような金額を働いて得るようになったわけです。
あれはバブルのしっぽにぶら下がっているころ。
つーても、しょせん高卒ですよ。
求人票には 初任給10万円 ですわ。
しかも実際の手取りは8万円。
社会は厳しい。
それでもつい先日までは高校生で親から小遣いをもらっていた身。
社会の厳しさを知ったとは言え、18歳の小娘には大金ですよ。
そんな娘に親が一言
とにかく月々3千円でもいいから貯蓄をしなさい
と。
もちろん素直な娘(笑)ですから、月々貯蓄を始めましたよ。
銀行で積立を。
それからですよ。私は地味~~~~~~~に毎月毎月コツコツと貯蓄を始めたのは。
最初の一年は言われたとおり月々3千円から。
翌年は5千円にしてみる。
さらに次の年は8千円にしてみる。
みたいに少しずつ増やしていった。
その1年貯めたお金はだいたい使っちゃったけどね。
なんせまだ完全なる貯蓄精神は染みついてなかったんで。
でも積立で貯蓄をするクセはつき始めたころ。
その後、株式投資と出会う。出会っただけだったが
1993年10月、JR東日本が上場した。らしい。覚えてないけど。
で、その時に父親から私ら娘たちに
金を用意しろ、JR東日本の株を買う
とのお達しが。
もちろん娘たちが金だけ用意して名義が父親とかっていう意味じゃなくね。
きちんと娘たちの名義でJR東日本株が2株(単元株数が1株だった)我が家のものになったのです。
で、その時に初めて「株式投資」てのも知った20代の初冬。
当時たぶん父親が買ったんだと思う「まんがでわかる株式入門」的な本を家で読んだ記憶もある。
マンガだった。
マンガの中で主人公がニチバンの株を買ってた。なぜかそれだけは鮮明に覚えている。
その後、出会った株式投資は自分の中で凍結され、JR東日本の株は優待と配当をもらうだけのものになった。
ちなみにJR東日本の株主優待は、めったに使わない娘たちではなく父親の手に渡った。
いろいろあって投資信託と出会う
何を思ったのか2002年12月、突然積立投信を始めることになる。
なんで始めようと思ったんだったかなぁ。
普通の積立定期預金だけやってたけど飽きたのかなぁ。
個人向け国債とかも買ってたしなぁ、このころ。
なんでかなぁって思ったらペイオフ制度が2002年3月から開始したのね。
銀行預金はひとり頭1,000万円までしか保障されないてなったから、銀行だけじゃダメだと思ったのかもしれない。
過去のことすぎて覚えてないけど。
と言うわけで、わけもわからずいつもの銀行窓口で突然積立投信を始めました、私。
これが今も続いている「インデックスファンド225」です。
その後はご存知の通り経済は山あり谷あり震災ありで。
戦後初のデフレにもなってデフレスパイラルに陥ってるし、2008年にはリーマンショックで世界規模の金融危機に陥る。
そして2011年3月11日の東日本大震災。
いまだに復興半ばの道のりです。
その後の経済は緩やかに回復してるのかしていないのか、庶民にはさっぱりわからんし、回復してるようには思えない状況が続いています。
出会った投資信託以外にも
インド株式オープン
アジア株式オープン
やみくもに貯蓄から投資へシフトしていった。
意味は無い。たぶん。忘れたけど。
それでも山あり谷ありを乗り越えた投資信託は見事に利益を出してくれてる。バンザイ。
つまりどういうことかと言うと、16年間毎月1万円ずつ積み立てたとして、
ふつうに積立定期預金で積み立てたときの違いはこんな感じになるのですよ。
(積立定期預金は利率がどんどん下がってきていたのでだいたいの年率ですが、現在は0.01%なので)
年にして7.6年分の違い!!!
いやぁ。マジで投資にしといてよかった…
そして今に至り、なお投資へのシフトを強く思う出来事
2017年夏、親が脳出血で倒れて救急搬送されました。
会社に電話がきてビックリしましたよ。
本人の迅速な対応により、2週間ほどの入院で済んだし後遺症もほとんど無いので良かったのですが。
その時に強く思ったのは
ああ、もし自分がこんな風に病気になったら収入が無くなるのか
と言うことだった。
今回は老親だったけども、このご時世自分だっていつ何時どうなるかわかったもんじゃない。
万が一、働けなくなったときにどうしたらいいのか?
それと同時に
万が一、親が介護の必要となる状態になったらどうする?
と言うことも考えた。
考えた結果が
働かなくても生きていけるだけのお金を用意しよう。
と言うなんとも短絡的な考えだった。
ええ、短絡的。
そのお金を用意するのが大変なんじゃん。
FP試験を馬鹿にするなよ?と言う思いから投資の女へとシフトする
でもそれから考えて、もう少しお金の勉強をしないといけないと思い立ちFP試験を受験。
FP試験でお金の勉強をして、6つの係数を知って自分なりに将来の必要資金を計算してみる。
おお。投資しとけば老後資金は満額用意しなくても良くないか?
と言うことに気付く。
FP試験なんて簡単すぎて勉強する必要なし!とか勉強する意味が無いとか言う噂はウソだな。
私にとって、とても大事なことに気付かさせてくれたんだもん。
それまでは貯蓄の女の名の通り、貯蓄だけで必要資金をそろえようとしていた。
それも満額。
定年退職するまでには老後資金の不足分を全額現金で貯めないと!と無謀にも思っていた。
それが投資で運用する利率ではじき出せば、全然元金少なくてもいけるじゃん。投資に回せば運用益が出るじゃん。
複利運用万歳じゃね?
なんで今まで必死になって貯蓄してたんだ、私。
もっと早く貯蓄から投資へ変更しておけばよかった。
いや、もうやってたけど(笑)
わけもわからずやみくもに手を付けていた積立投信が良いお仕事をしてくれてるのを見て、過去の私は間違っていなかったと強く実感。
親の病気から始まったお金の勉強。
全部全部無駄ではない。
からまりあってつながりあって、いろいろなことが見えてくるんだと。
勉強って大事。
そんな単純なことを思い出させてくれる出来事だった。
そしてここに投資の女が生まれる。
まとめてみると
けっこう自分の身を真剣に考えたときに、今のままでは貯蓄だけではどーしようもできないってわかったのです。
それがわかっただけFP試験を受けてよかったなーって。
もちろん投資はリスクも伴うことは百も承知!
だからと言って、そのリスクを怖がって手を出さないなどとは愚の骨頂!
とばかりに思考が投資寄りになってるのですよ。
でもFXとか仮想通貨とか株式売買の信用取引なんかのハイリスクハイリターンは狙えないと言う小心者。
それでも貯蓄だけでは老後資金は貯まらない事実を知っている。
だったら投資にシフトしちゃうのが正解なのでしょう。
そう思って突っ走る。
自分のために。
そして自分のために得た情報はここで還元していく!
そうする!
みんなで幸せな老後を過ごそうよ!
最後にひとつだけ重要なことを告げておくね。
もし突然モノがつかめなくなったり、立てなくなったりしたら脳の疾患(脳出血等)が考えられるから
なにはともあれ速攻で救急車を呼ぶべし!!!
うちの親は外にいたけど、転がったペットボトルが右手で全然拾えなくて、おかしいと思った時に
「これは脳をやられた」
と思ったらしいです。
その場で店にいたスタッフさんに救急車を呼んでもらったんだって。
病気もののTVは見ておくに限るね(笑)
おかげさまで現在はほぼ回復してます。
お金の話じゃないけど、重要なことだから!
では、また~!
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